圓鍔勝三の軌跡
印刷用ページを表示する掲載日:2022年5月24日更新
圓鍔勝三の軌跡
途上期
生誕から29歳までの作品。
上京から澤田先生に師事するまでの間で、彫刻家としての頭角を現しつつある時期です。
年代 | できごと | 世界情勢 |
1905年(明治38年) | 11月30日、広島県御調郡河内村(現御調町)大字徳永19番地に於いて、父・圓鍔宇三郎、母・スミの二男として出生。本名勝二。 | 日露戦争終結 |
1912年(大正元年)7歳 | 河内尋常高等小学校に入学。 | 明治天皇崩御、大正と改元 |
1918年(大正7年)13歳 | 母・スミ亡くなる。 | 第一次世界大戦終結 |
1921年(大正10年)16歳 | 河内尋常高等小学校高等科3年卒業。 彫刻家を志望。京都市、石割秀光の内弟子に入門。 |
原首相暗殺 |
1926年(大正15年)21歳 | 京都市商工専修学校(彫刻科・デッサン科)並びに関西美術院に学ぶ。 | |
1928年(昭和3年)23歳 | 上京。友人を頼り、東京・湯島の国民美術協会に下宿。日本美術学校に入学。 | |
1930年(昭和5年)25歳 | 第11回帝展に「星陽」出品、初入選。=早稲田大学理工学部蔵= | |
1931年(昭和6年)26歳 | 第12回帝展に「みのり」出品。 | 満州事変=柳条湖事件勃発 |
1932年(昭和7年)27歳 | 日本美術学校卒業。澤田政廣先生に師事。 日本美術学校卒業制作「腰かけた女」銀賞。 |
|
1934年(昭和9年)29歳 | 第15回帝展に「調べ」出品。=広島赤十字蔵= |
基調期
40歳までの作品を掲載します。
|
展開期
終戦から58歳までの作品。
木彫りから新たな素材への挑戦が始まろうとしている時期で、圓鍔作品の個性が開花されている。
終戦という時代背景とあい重なり、自由で闊達な作風の時期です。
年代 | できごと | 世界情勢 |
1946年(昭和21年)41歳 | 春第1回日展に「芸」出品。 秋第2回日展に「砂浜」出品、特選。=文部省蔵= |
日本国憲法の公布 「リンゴの歌」流行る |
1947年(昭和22年)42歳 | 日本彫刻家連盟創立され、会員となる。 多摩美術学校(現多摩美術大学)助教授となる。 第3回日展に 「しろうさぎ」招待出品、特選。文部省買上。=東京国立近代美術館蔵= 「奏」制作。 |
古橋広之進400M自由形で世界新 |
1948年(昭和23年)43歳 | 第4回日展に 「二人」出品。=広島県御調町蔵= | 太宰治心中 ガンジー暗殺 |
1949年(昭和24年)44歳 | 第5回日展に 「わかどり」出品。 同「わかどり」(ブロンズ)=中国新聞社蔵= |
|
1950年(昭和25年)45歳 | 多摩美術短期大学教授となる。 第6回日展に「土器を持つ女」出品、特選。 昭和電工川崎工場に「平和安全記念碑」制作。 「平和安全記念碑(エスキース)」 「飛び込み」制作。 「裸婦」制作。 |
朝鮮戦争はじまる 金閣寺消失 |
1951年(昭和26年)46歳 | 日展審査員となる。 第7回日展に「和好」(木彫)出品。 日本陶彫会創立され、昭和50年まで毎回出品。 |
|
1952年(昭和27年)47歳 | 日本彫塑会会員となる。 第8回日展に「黒い女」出品。後日、加刀し「サーカスの姉妹」として山梨県立美術館買上となる。 広島中央郵便局に広島平和記念ポスト「友情」制作。 「平和と友情」制作。 尾道市向島中学校に「巣立つ頃」制作。 |
白井義男がフライ級チャンピオン |
1953年(昭和28年)48歳 | 多摩美術大学教授となる。 第1回日本彫塑会展に「青い鳥」出品。 第9回日展に「仲間」出品。 「仲間」制作。 「イス」制作。 |
吉田首相の「バカヤロー」発言で国会解散 |
1954年(昭和29年)49歳 | 第2回日彫展に「二人の道化師」他出品。 尾道市に「なぎさの女神」制作。 「なぎさの女神」制作。 前橋市庁舎に「障壁彫刻」制作。同「障壁彫刻」は後の昭和60年「三人姉妹」に作りかえられる。 第10回日展に「むつみ」出品。 |
ビキニの水爆実験で第5福竜丸被爆 |
1955年(昭和30年)50歳 | 第3回日彫展に「休む少年」(木彫)出品。 広島児童公園に鈴木三重吉記念碑「夢に乗る」制作。 「夢に乗る」制作。 仁科記念賞「仁科芳雄博士像」を平成7年まで毎年制作。 福山市に「巣立つ」制作。 第11回日展に「古の話」出品。 「休む少年と馬」制作。 |
広島で原水爆禁止大会 |
1956年(昭和31年)51歳 | 第4回日彫展に「残された子供」出品。 広島市の広島平和欄間彫刻制作。 早稲田大学内藤記念館に「内藤多仲博士像」制作。 第12回日展に「かがみ」出品。 |
|
1957年(昭和32年)52歳 | 第5回日彫展に「庭の花」出品。 第13回日展に「幻想」出品。同作品川合玉堂賞により買上。=日本芸術院蔵= 「幻想(猿有)」制作。 「幻想」制作。 |
ソ連が初の人工衛星打ち上げに成功 |
1958年(昭和33年)53歳 | 第6回日彫展に「道化のマスク」出品。 社団法人日展審査員、同会員となる。 社団法人第1回日展 「仏法僧」出品。=東京都美術館蔵= 広島市に「鈴木三重吉記念碑」制作。 広島県御調町に「緑のリズム」制作。 「ネックレス」制作。 |
正田美智子さま皇太子妃に決定 |
1959年(昭和34年)54歳 | 第7回日彫展に「サーカスの女」出品。 岩国駅前に「慰霊塔」制作。 第2回日展に 「楽人」出品。 |
安保反対統一行動 |
1960年(昭和35年)55歳 | 勝二を勝三と改名。 第8回日彫展に 「鳥と海」出品。 山梨市の萬力公園に「根津嘉一郎像」制作。 「根津嘉一郎像」制作。 神戸市文化ホールに「なぎさの女神」制作。 第3回日展に 「星羅」出品。=広島県立美術館蔵= 「ラケット」制作。 「魚と女」制作。 |
カラーTVの本放送 |
1961年(昭和36年)56歳 | 第9回日彫展に「砂浜」出品。 東京・深大寺に万霊塔本尊 「十二支観音」制作。 第4回日展に「舞台」出品。 |
ソ連が人間を乗せた初の人工衛星打ち上げに成功 |
1962年(昭和37年)57歳 | 東南アジア・中近東・欧米巡視。(3ヶ月) 日展評議員となる。 第5回日展に「再会」出品。=広島駅= |
堀江謙一のヨット太平洋横断 |
1963年(昭和38年)58歳 | 第11回日彫展に「タクト」出品。(テラゾー)出品。 山梨学院大学に「正義の女神」制作。 岡山池田公園に「緑のリズム」制作。 川崎駅に「みのり」「いこい」制作。 「いこい」制作。 第6回日展に「海辺の踊り」出品。 「勾玉と石楠花(レリ-フ)」制作。 「花を抱える」制作。 |
ケネディー大統領暗殺 |
心象期
59歳から74歳までの作品。
群像作品が多く輩出された時期で、この頃から、写実的実在感表現から心象的実在感表現への変化が見られます。
年代 | できごと | 世界情勢 |
1964年(昭和39年)59歳 | 第12回日彫展に「右足を出した女」出品。 日展審査員となる。 第7回日展に 「祝福」出品。 |
|
1965年(昭和40年)60歳 | 第13回日彫展に 「面」出品。 東京・芝円山公園「伊能忠敬測地遺功表」制作。 広島・比治山公園に「松田重次郎像」制作。 第8回日展に「旅情」出品。文部大臣賞受賞。 「祈り」制作。 「羅漢」制作。 「芭蕉」制作。 「ふぐ」制作。 |
朝永博士ノーベル賞受賞 |
1966年(昭和41年)61歳 | 前年の第8回日展出品作「旅情」にて日本芸術院賞受賞。芸術院買上=日本芸術院蔵= 第13回日彫展に動物慰霊碑「仏と牛」出品。 広島平和公園に「若葉」制作。 第9回日展に「対話」出品。 |
国会の黒い霧 |
1967年(昭和42年)62歳 | 第15回記念日彫展に「怪獣」出品。 沖縄・石垣島に「躍進」制作。 「躍進(エスキース)」 広島原爆ドーム横に「動員学徒の記念碑」制作。 「動員学徒の記念碑の観音像」制作。 第10回日展に 「友好」出品。 「若葉」制作。 |
ユニバーシアード東京大会開催 |
1968年(昭和43年)63歳 | 日本美術家連盟委員となる。 日本彫塑会委員長となる。 第1回個展を東京・日本橋三越にて開催、木彫、ブロンズ、石彫、樹脂テラゾー等30点出品。 第16回日彫展に万霊記念碑「虎」出品。 「ふくろう」制作。=神奈川県立近代美術館蔵= 沖縄に「ひろしまの塔」制作。 香川県小豆島公園に「愛の泉」制作。 川崎市稲毛公園に「平和の塔」制作。 11回日展に「芝生に立つ」出品。=東京都美術館蔵= 「一すじ」制作。 「横臥」制作。 「黄色の布を巻く娘」制作。 「手足を組む」制作。 「神苑の駒」制作。 「母子像」制作。 「熱帯魚」制作。 |
明治百年記念行事 |
1969年(昭和44年)64歳 | 日展理事に就任。 第17回日彫展に「鯉城の噴水」出品。 改組第1回日展に「かたらい」出品。 「白セメントの熱帯魚」制作。 |
米、アポロ12号月面着陸成功。東大安田講堂占拠事件 |
1970年(昭和45年)65歳 | 日本芸術院会員に任命される。 第18回日彫展に「発掘の駒」出品。 第2回個展を名古屋・松坂屋にて開催、木彫、樹脂テラゾー等30点出品。 明治神宮迎賓館に「巣立」制作。 日展審査員。 第2回日展に「楽屋」出品。 「健康優良児」制作。 |
大阪で万国博覧会開催。三島由起夫割腹自殺 |
1971年(昭和46年)66歳 | 紺綬褒章受賞。 社団法人日本彫塑会第1回日展に「みどり」出品。 第20回五都展に「稚児えびす」出品。以後毎年出品。 日本芸術院会員展に「芝生に立つ」出品。=新潟県美術博物館蔵= 日展常務理事に就任。 第3回日展に「馬と遊ぶ神烏」出品。 「馬と遊ぶ神烏」制作。 |
ドル・ショック |
1972年(昭和47年)67歳 | 日本彫塑会常務理事に就任。 第2回日彫展に「みどりの庭」出品。 「みどりの庭」 第3回個展を大阪・大丸にて開催、木彫、ブロンズ等30点出品。 日展審査員。 第4回日展に「発掘」出品。 中国新聞社に「新聞」制作。 「新聞(部分)」 |
連合赤軍の浅間山荘事件 |
1973年(昭和48年)68歳 | 第3回日彫展に「鳥と女」出品。 ヨーロッパ(イタリア、フランス、スペイン、ギリシャ、英国)を1ヶ月にわたって巡視。 日展審査員。 川崎市文化賞受賞。 第5回日展に「ムーランルージュの夜」出品。 |
ニクソン米大統領のウォーターゲート事件 |
1974年(昭和49年)69歳 | 第4回日彫展に「新緑のよろこび」出品。 「ピエロと烏」「緑の調べ」=箱根・彫刻の森美術館蔵= 「ピエロと烏」 「緑の調べ(エスキース)」 第6回日展に「こかげ」出品。 「妊婦の神」制作。 「翁」制作。 「果実器」制作。 「練武」制作。 |
小野田元少尉ルバング島より帰国 |
1975年(昭和50年)70歳 | 第5回日彫展に「栄光」出品。 堅山南風先生と共にタヒチへスケッチ旅行に出掛ける。 日本芸術院会員展に「鳥と女」出品。 広島市立図書館前に「英国詩人、エドマンド・ブランデン記念碑」制作。 大分県庁前に「育児院と牛乳の記念碑」制作。 「壇林皇后像」制作。 広島中央公園に 「花の精」制作。 日展審査員。 第7回日展に「三日月と母子像」出品。 「ふぐ」制作。 「ふぐ(掛け用)」制作。 「放鳥」制作。 |
沖縄海洋博開催 |
1976年(昭和51年)71歳 | 勲三等瑞宝章受賞。 多摩美術大学客員教授となる。 第6回日彫展に「モーレアの追想」出品。 「モーレアの追想」 第4回個展を東京・日本橋三越にて開催、約30点出品。 日展理事デッサン展(日展銀座)に「タヒチの追想」出品。 常陸宮家玄関に「巣立つ頃」(ブロンズ)制作。 日展審査員。 第8回日展に「タヒチの追想」出品。=多摩美術大学蔵= 「ランギロアの少女(タヒチのツバ)」制作。 「猿」制作。 「シルクロ-ドの旅」制作。 「ささやき」制作。 「わらび」制作。 「潮風」制作。 |
ロッキード事件 |
1977年(昭和52年)72歳 | 第7回日彫展に「巣立つ」出品。=日本赤十字社蔵= 回想の作品展(日展銀座)に「馬と遊ぶ神鳥」出品。 富山県高岡市古城公園に「若葉」制作。 広島平和公園に「平和祈念像」制作。 日展審査員。 第9回日展に「月の光」出品。=国立近代美術館蔵= 「月の光(エスキース)」 「うさぎ」制作。 「キリスト」制作。 「夕涼み」制作。 |
王選手世界新の756号ホームラン |
円熟期
75歳以降の作品。
瞑想的な心象世界の表現をした作品が多数輩出された時期です。
年代 | できごと | 世界情勢 |
1978年(昭和53年)73歳 | 日本彫塑会理事長に就任。 第8回日彫展に「姫と大蛇」出品。 多摩美術大学名誉教授となる。 日展審査員。 第10回日展に「夢・夢・夢」出品。 新潟県弥彦文化会館に「若葉」制作。 東京・池上本門寺に 「仁王像一対」制作。 「仏法僧」制作。 「三人の精」制作。 |
成田空港開港、日中平和友好条約調印 |
1979年(昭和54年)74歳 | 第9回日彫展に「月と鳥」出品。 吉田五十八賞(建築並びに関連美術)選考委員となる。以後平成6年まで毎年。 日本芸術院会員展(北九州・神戸・大阪の各そごう)に「月の光」出品。 日展理事新作展(日展銀座)に「夢」出品。 長野県佐久美術館に「緑のリズム」制作。 広島駅新幹線北出口に「朝」制作。 松山市三越に「若葉」制作。 東京・新宿住友ビルに「三日月と母子像」制作。 最高裁判所に「正義の女神」制作。 伊勢神宮神楽殿「神使い」制作。 第11回日展に「ページェント」出品。 「夢に乗る」制作。 「北斎」制作 |
東京サミット開催 |
1980年(昭和55年)75歳 | 日本彫塑会を日本彫刻会と改名、理事長に就任。 第10回日彫展に「朝」出品。 神奈川県文化賞受賞。 皇太子殿下と懇談のため東宮御所に参内。 第5回個展を岡山・高島屋にて開催、木彫等50点出品。 第6回個展を大阪・高島屋にて開催、木彫等50点出品。 第7回個展を名古屋・松坂屋にて開催、木彫50点出品。 磐田市文化会館に「土器を持つ女」制作。 福山市若草園に壁面彫刻「鳥と動物」制作。 「鳥と動物(レリーフ)」 日展審査員。 第12回日展に「芸」出品。 「面と女」制作。 「二つの面」制作。 「山羊」制作。 「若い僧」制作。 「笛」制作。 |
モスクワ五輪に日本不参加 |
1981年(昭和56年)76歳 | 第11回日彫展に「花を捧げる」出品。 昭和会展審査員並びに授賞選考委員となり、平成5年までつとめる。 箱根・彫刻の森美術館・高村光太郎大賞選考委員となる。 郷里広島県の御調町名誉町民第1号に推挙される。 国営森林公園に「躍進」制作。 広島県御調町ふれあいの里に「花園の歌」制作。 「花園の歌」制作。 神奈川県二宮駅前に「ガラスのうさぎ」制作。 天皇陛下80歳ご誕生御祝いの彫刻「若駒」制作。 日展顧問となる。 第13回日展に「北きつね物語より」出品。 「若駒」制作。 「ギターを奏でる女性」制作。 「和(きつね)」制作。 |
ローマ法王初来日 |
1982年(昭和57年)77歳 | 第12回日彫展に「白い花」出品。 文化功労者に列せられる。 第14回日展に「讚歌」出品。 |
|
1983年(昭和58年)78歳 | 第13回日彫展に「サーカスの児」出品。 中国旅行に出かける(二週間)。 実業之日本社より「圓鍔勝三彫刻集」を出版。 八王子市役所に「朝」設置。 鹿児島市民ホールに「朝の調」(制作。 「朝の調(ハープ)」 「朝の調(リング)」 「朝の調(鳥)」 「朝の調(布)」 神慈秀明会の教祖殿に「岡田茂吉明主像」制作。 囲碁名誉9段「瀬越憲作像」制作。 第15回日展に「星より」出品。 「春の唄」制作。 「母子」制作。 |
大韓航空機撃墜事件 |
1984年(昭和59年)79歳 | 高村光太郎賞選考委員。 第14回日彫展に「鹿野苑」出品。 仙台瑞宝殿に「伊達忠宗公像(第2代伊達公像)」制作。 「伊達忠宗公像(第2代伊達公像)」制作。 川崎大師平間寺に「祈りと平和」制作。 広島県庁東館に「太陽讚歌」制作。 総理大臣官邸に「花の精」制作。 第16回日展に 「青い鳥」出品。 「花の精」制作。 |
グリコ、森永脅迫事件 三浦のロス疑惑 |
1985年(昭和60年)80歳 | 第15回日彫展に「魚と少年」出品。 「彫刻60年─圓鍔勝三展」を三越本店並びに広島県立美術館で開催。 福井県武生市に 「紫式部像」制作。 「紫式部像(エスキース)」 広島県安浦県立子供公園に「夢・夢・夢」、「躍進」制作。 第17回日展に「月夜の僧」出品。 「婦人像K」制作。 「音楽家」制作。 |
日航ジャンボ機墜落事件 |
1986年(昭和61年)81歳 | 第16回日彫展に「トルファンの踊り子」出品。 伊勢神宮(神宝)「馬」6体、人物1体の制作着手。 第18回日展に 「日月花」出品。 山本浩二氏に広島県民栄誉賞として贈られる記念品「おおぞら」制作。 「紫式部像」制作。 |
|
1987年(昭和62年)82歳 | 第17回日彫展に「二つの帽子」出品。 「二つの帽子」制作。 覚王山日泰寺(名古屋市)「阿難尊者、摩訶迦葉」制作着手。 日本電子工学院に「朝の調」設置。 川崎市とリエカ市(ユーゴスラビア)姉妹都市提携10周年記念として川崎市からリエカ市へ「友情」が贈られた。 衣笠祥雄氏に広島県民栄誉賞として贈られる記念品「おおぞら」制作。 第19回日展に「舞台の麗人」出品。 「舞台の麗人」制作。 |
ソ連チェルノブイリ原発の大事故 |
1988年(昭和63年)83歳 | 第18回日彫展に「輪と遊ぶ」出品。 伊勢神宮に奉納する「鶴斑毛御彫馬」制作着手。 川崎市民ミュージアムに「巣立つ」設置。 日展審査員。 第20回日展に「和」出品。 文化勲章を受賞する。 天皇の御不例の報に記帳、お見舞いに参内する。 「圓鍔記念館」の構想がまとまる。 |
師・澤田政廣逝去 リクルート事件発覚 |
1989年(平成元年)84歳 | 広島県名誉市民となる。 昭和天皇大喪の礼に参列する。 自伝「わが人生」(時の美術社刊)を出版。 第19回日彫展に 「リズムの広場(フルート)」出品。 名古屋市・覚王山日泰寺の「摩訶迦葉像」「阿難尊者像」が完成。 東広島駅前に「和」設置。 名古屋ユニモール地下街に「舞台の麗人」設置。 尾道市千光寺公園に「あけぼの」設置。 第21回日展に「リズムの広場」出品。 「少女とふくろう」制作。 |
昭和天皇崩御、平成と改元 |
1990年(平成2年)85歳 | 第20回日彫展に「勾玉と弟橘媛」出品。 福井市制100周年記念として「リズムの広場」が除幕される。 文化勲章受章記念・圓鍔勝三彫刻展が川崎市市民ミュージアムで開催される。 福山市鞆町鞆城山公園に「宮城道雄」設置。 裁判所制度100周年記念として「正義の女神」が切手として発行される。 生誕100年を迎える作詞家「佐藤惣之助」のレリーフが完成。 長野県須坂市臥龍公園に「よろこびの歌」設置。 品川新高輪プリンスホテルに「和」設置。 第22回日展に「伝説の鳥」出品。 「伝説の鳥」制作。 「馬」制作。 「不死鳥」制作。 |
|
1991年(平成3年)86歳 | 第21回日彫展に 「千年桜」出品。 川崎市名誉市民となる。 富山県福野町ヘリオスに「朝」設置。 静岡市内に「はばたき」設置。 福山市蔵王公園に「トルファンの追想」設置。 群馬県草津音楽堂に「緑のしらべ」設置。 静岡市内に「ワシ」設置。 下蒲苅美術館に「自然の恵み」設置。 福山通運に「渋谷昇像」設置。 岡谷市に「信州男児」設置。 川崎市中原区役所に「絆」設置。 第23回日展に「夢の丘」出品。 |
|
1992年(平成4年)87歳 | 第22回日彫展に「早春のしらべ」出品。 福山市内に「和」設置。 福山そごうに「豊穣の濯」設置。 福山そごうに「希望の奏」設置。 川崎市平和館に「和」設置。 第24回日展に 「みあがり踊り」出品。 「エンジェル(風見鶏)」制作。 「渋谷昇像」制作。 |
|
1993年(平成5年)88歳 | 第23回日彫展に「春を待つ」を出品。 広島県御調郡御調町高尾ふれあいの里に「圓鍔記念公園・圓鍔記念館」がオープン。 伊勢神宮式年遷宮に際し神宝「神馬」を献納。 長野県更埴市屋代駅前に「和」設置。 八王子富士森公園に「平和」設置。 大妻女子大に「大妻コタカ像」設置。 千葉そごうに「大空と子供」設置。 福山大学に「宮地茂像」設置。 小倉そごうに「花の女神」設置。 高浜町郷土資料館に「逸見駿河守昌経公像」設置。 第25回日展に「タクト」出品。 |
|
1994年(平成6年)89歳 | 第24回日彫展に「コレクションと・・・」を出品。 福山市ふくやま美術館の正面入口に「姉妹」設置。 長野市に「タクト」設置。 福島県須賀川市内に「朝」設置。 広島そごうに「大空」設置。 北海道松前町に「金子鴎亭像」設置。 日展審査員。 第26回日展に「ハープを奏でる」出品。 「ハープを奏でる」制作。 |
|
1995年(平成7年)90歳 | 第25回日彫展に 「アトリエにて『自刻像』」出品。 第27回日展に「雉」出品。 「雉」制作。 |
|
1996年(平成8年)91歳 | 広島県呉駅前に「未来」設置。 | |
1997年(平成9年)92歳 | 自伝「続・わが人生」(時の美術社刊)を出版。 東京都府中市に「タクト」設置。 |