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圓鍔勝三の軌跡

印刷用ページを表示する掲載日:2022年5月24日更新
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圓鍔勝三制作風景

圓鍔勝三の軌跡

途上期

生誕から29歳までの作品。
上京から澤田先生に師事するまでの間で、彫刻家としての頭角を現しつつある時期です。

年代 できごと 世界情勢
1905年(明治38年) 11月30日、広島県御調郡河内村(現御調町)大字徳永19番地に於いて、父・圓鍔宇三郎、母・スミの二男として出生。本名勝二。 日露戦争終結
1912年(大正元年)7歳 河内尋常高等小学校に入学。 明治天皇崩御、大正と改元
1918年(大正7年)13歳 母・スミ亡くなる。 第一次世界大戦終結
1921年(大正10年)16歳 河内尋常高等小学校高等科3年卒業。
彫刻家を志望。京都市、石割秀光の内弟子に入門。
原首相暗殺
1926年(大正15年)21歳 京都市商工専修学校(彫刻科・デッサン科)並びに関西美術院に学ぶ。  
1928年(昭和3年)23歳 上京。友人を頼り、東京・湯島の国民美術協会に下宿。日本美術学校に入学。  
1930年(昭和5年)25歳 第11回帝展に「星陽」出品、初入選。=早稲田大学理工学部蔵=  
1931年(昭和6年)26歳 第12回帝展に「みのり」出品。 満州事変=柳条湖事件勃発
1932年(昭和7年)27歳 日本美術学校卒業。澤田政廣先生に師事。
日本美術学校卒業制作「腰かけた女」銀賞。
 
1934年(昭和9年)29歳 第15回帝展に「調べ」出品。=広島赤十字蔵=  

基調期

40歳までの作品を掲載します。
結婚・アトリエ新築等以降の圓鍔勝三氏のベースロードとなる時期であります。戦時中のこともあり、軍事色の強い作品が残っています。また、作品素材についてもその大部分は木彫となっています。

年代 できごと 世界情勢
1935年(昭和10年)30歳 日本木彫会第3回日展に「練武」出品。  
1936年(昭和11年)31歳 増淵又八郎の長女・喜美と結婚。東京・雑司ヶ谷に居を構える。 2・26事件
1937年(昭和12年)32歳 川崎市中原区小杉の現在地にアトリエ新築。
長男・盛申(元規)誕生。
第1回文展 に「漁婦」出品。=ふくやま美術館蔵
南京大虐殺
1938年(昭和13年)33歳 第2回文展に「タカイタカイ」出品。 国家総動員法公布
1939年(昭和14年)34歳 第3回文展に 「初夏」出品、特選。=京都市美術館蔵=
神奈川県逗子市に「四聖人」制作。
 頼山陽 制作。
 徳川家康 制作。
ノモンハン事件
1940年(昭和15年)35歳 長女・雅代誕生。
紀元2600年奉祝美術展に「庭」出品。
日独伊三国同盟調印
1941年(昭和16年)36歳 日本美術学校講師として昭和18年まで学生指導。
澤田政廣、三木宗策先生の正統木彫家協会会員として参加。
第4回文展に 「途上」無鑑査出品。
第1回正統木彫家協会展に 「道化師」出品。
第1回航空美術展に「ヒコウキ」出品。
太平洋戦争勃発
1942年(昭和17年)37歳 父・宇三郎亡くなる。
第2回正統木彫家協会展に「花束」出品。
第2回航空美術展に「有馬氏像」出品。
大東亜戦争美術展に 「歩け南方」出品。
 石膏師制作。
赤い布を巻く女制作。
赤いコ-ト制作。
 裸婦制作。
ミッドウェー海戦
1943年(昭和18年)38歳 北海道(夕張・芦別)の各炭鉱推進隊員として、中村直人、古賀忠雄、木下繁氏等4人で激励彫刻制作。その後も20年まで、九州、常磐の各炭鉱を回る。
次女・弓子誕生。
第6回文展に「水平線」招待出品。
第3回正統木彫家協会展に「腕を組む少年」出品。海軍省買上。
 画人制作。
アッツ島守備隊玉砕
1944年(昭和19年)39歳 文部省戦時特別美術展「坑道」無鑑査出品。軍需省買上。
 兵制作。
 
1945年(昭和20年)40歳 次男・静雄誕生。 広島と長崎に原子爆弾投下。終戦
 

展開期

終戦から58歳までの作品。
木彫りから新たな素材への挑戦が始まろうとしている時期で、圓鍔作品の個性が開花されている。
終戦という時代背景とあい重なり、自由で闊達な作風の時期です。

年代 できごと 世界情勢
1946年(昭和21年)41歳 春第1回日展に「芸」出品。
秋第2回日展に「砂浜」出品、特選。=文部省蔵=
日本国憲法の公布
「リンゴの歌」流行る
1947年(昭和22年)42歳 日本彫刻家連盟創立され、会員となる。
多摩美術学校(現多摩美術大学)助教授となる。
第3回日展に 「しろうさぎ」招待出品、特選。文部省買上。=東京国立近代美術館蔵=
 「奏」制作。
古橋広之進400M自由形で世界新
1948年(昭和23年)43歳 第4回日展に 「二人」出品。=広島県御調町蔵= 太宰治心中
ガンジー暗殺
1949年(昭和24年)44歳 第5回日展に 「わかどり」出品。
同「わかどり」(ブロンズ)=中国新聞社蔵=
 
1950年(昭和25年)45歳 多摩美術短期大学教授となる。
第6回日展に「土器を持つ女」出品、特選。
昭和電工川崎工場に「平和安全記念碑」制作。
  「平和安全記念碑(エスキース)」
 「飛び込み」制作。
「裸婦」制作。
朝鮮戦争はじまる
金閣寺消失
1951年(昭和26年)46歳 日展審査員となる。
第7回日展に「和好」(木彫)出品。
日本陶彫会創立され、昭和50年まで毎回出品。
 
1952年(昭和27年)47歳 日本彫塑会会員となる。
第8回日展に「黒い女」出品。後日、加刀し「サーカスの姉妹」として山梨県立美術館買上となる。
広島中央郵便局に広島平和記念ポスト「友情」制作。
「平和と友情」制作。
尾道市向島中学校に「巣立つ頃」制作。
白井義男がフライ級チャンピオン
1953年(昭和28年)48歳 多摩美術大学教授となる。
第1回日本彫塑会展に「青い鳥」出品。
第9回日展に「仲間」出品。
「仲間」制作。
 「イス」制作。
吉田首相の「バカヤロー」発言で国会解散
1954年(昭和29年)49歳 第2回日彫展に「二人の道化師」他出品。
尾道市に「なぎさの女神」制作。
 「なぎさの女神」制作。
前橋市庁舎に「障壁彫刻」制作。同「障壁彫刻」は後の昭和60年「三人姉妹」に作りかえられる。
第10回日展に「むつみ」出品。
ビキニの水爆実験で第5福竜丸被爆
1955年(昭和30年)50歳 第3回日彫展に「休む少年」(木彫)出品。
広島児童公園に鈴木三重吉記念碑「夢に乗る」制作。
「夢に乗る」制作。
仁科記念賞「仁科芳雄博士像」を平成7年まで毎年制作。
福山市に「巣立つ」制作。
第11回日展に「古の話」出品。
「休む少年と馬」制作。
広島で原水爆禁止大会
1956年(昭和31年)51歳 第4回日彫展に「残された子供」出品。
広島市の広島平和欄間彫刻制作。
早稲田大学内藤記念館に「内藤多仲博士像」制作。
第12回日展に「かがみ」出品。
 
1957年(昭和32年)52歳 第5回日彫展に「庭の花」出品。
第13回日展に「幻想」出品。同作品川合玉堂賞により買上。=日本芸術院蔵=
「幻想(猿有)」制作。
 「幻想」制作。
ソ連が初の人工衛星打ち上げに成功
1958年(昭和33年)53歳 第6回日彫展に「道化のマスク」出品。
社団法人日展審査員、同会員となる。
社団法人第1回日展 「仏法僧」出品。=東京都美術館蔵=
広島市に「鈴木三重吉記念碑」制作。
広島県御調町に「緑のリズム」制作。
「ネックレス」制作。
正田美智子さま皇太子妃に決定
1959年(昭和34年)54歳 第7回日彫展に「サーカスの女」出品。
岩国駅前に「慰霊塔」制作。
第2回日展に 「楽人」出品。
安保反対統一行動
1960年(昭和35年)55歳 勝二を勝三と改名。
第8回日彫展に 「鳥と海」出品。
山梨市の萬力公園に「根津嘉一郎像」制作。
「根津嘉一郎像」制作。
神戸市文化ホールに「なぎさの女神」制作。
第3回日展に 「星羅」出品。=広島県立美術館蔵=
「ラケット」制作。 「魚と女」制作。
カラーTVの本放送
1961年(昭和36年)56歳 第9回日彫展に「砂浜」出品。
東京・深大寺に万霊塔本尊 「十二支観音」制作。
第4回日展に「舞台」出品。
ソ連が人間を乗せた初の人工衛星打ち上げに成功
1962年(昭和37年)57歳 東南アジア・中近東・欧米巡視。(3ヶ月)
日展評議員となる。
第5回日展に「再会」出品。=広島駅=
堀江謙一のヨット太平洋横断
1963年(昭和38年)58歳 第11回日彫展に「タクト」出品。(テラゾー)出品。
山梨学院大学に「正義の女神」制作。
岡山池田公園に「緑のリズム」制作。
川崎駅に「みのり」「いこい」制作。
「いこい」制作。
第6回日展に「海辺の踊り」出品。
「勾玉と石楠花(レリ-フ)」制作。
「花を抱える」制作。
ケネディー大統領暗殺

心象期

59歳から74歳までの作品。
群像作品が多く輩出された時期で、この頃から、写実的実在感表現から心象的実在感表現への変化が見られます。

年代 できごと 世界情勢
1964年(昭和39年)59歳 第12回日彫展に「右足を出した女」出品。
日展審査員となる。
第7回日展に 「祝福」出品。
 
1965年(昭和40年)60歳 第13回日彫展に 「面」出品。
東京・芝円山公園「伊能忠敬測地遺功表」制作。
広島・比治山公園に「松田重次郎像」制作。
第8回日展に「旅情」出品。文部大臣賞受賞。
 「祈り」制作。
 「羅漢」制作。
 「芭蕉」制作。
 「ふぐ」制作。
朝永博士ノーベル賞受賞
1966年(昭和41年)61歳 前年の第8回日展出品作「旅情」にて日本芸術院賞受賞。芸術院買上=日本芸術院蔵=
第13回日彫展に動物慰霊碑「仏と牛」出品。
広島平和公園に「若葉」制作。
第9回日展に「対話」出品。
国会の黒い霧
1967年(昭和42年)62歳 第15回記念日彫展に「怪獣」出品。
沖縄・石垣島に「躍進」制作。
  「躍進(エスキース)」
広島原爆ドーム横に「動員学徒の記念碑」制作。
「動員学徒の記念碑の観音像」制作。
第10回日展に 「友好」出品。
 「若葉」制作。
ユニバーシアード東京大会開催
1968年(昭和43年)63歳 日本美術家連盟委員となる。
日本彫塑会委員長となる。
第1回個展を東京・日本橋三越にて開催、木彫、ブロンズ、石彫、樹脂テラゾー等30点出品。
第16回日彫展に万霊記念碑「虎」出品。
「ふくろう」制作。=神奈川県立近代美術館蔵=
沖縄に「ひろしまの塔」制作。
香川県小豆島公園に「愛の泉」制作。
川崎市稲毛公園に「平和の塔」制作。
11回日展に「芝生に立つ」出品。=東京都美術館蔵=
「一すじ」制作。
 「横臥」制作。
 「黄色の布を巻く娘」制作。
「手足を組む」制作。
 「神苑の駒」制作。
 「母子像」制作。
 「熱帯魚」制作。
明治百年記念行事
1969年(昭和44年)64歳 日展理事に就任。
第17回日彫展に「鯉城の噴水」出品。
改組第1回日展に「かたらい」出品。
「白セメントの熱帯魚」制作。
米、アポロ12号月面着陸成功。東大安田講堂占拠事件
1970年(昭和45年)65歳 日本芸術院会員に任命される。
第18回日彫展に「発掘の駒」出品。
第2回個展を名古屋・松坂屋にて開催、木彫、樹脂テラゾー等30点出品。
明治神宮迎賓館に「巣立」制作。
日展審査員。
第2回日展に「楽屋」出品。
「健康優良児」制作。
大阪で万国博覧会開催。三島由起夫割腹自殺
1971年(昭和46年)66歳 紺綬褒章受賞。
社団法人日本彫塑会第1回日展に「みどり」出品。
第20回五都展に「稚児えびす」出品。以後毎年出品。
日本芸術院会員展に「芝生に立つ」出品。=新潟県美術博物館蔵=
日展常務理事に就任。
第3回日展に「馬と遊ぶ神烏」出品。
「馬と遊ぶ神烏」制作。
ドル・ショック
1972年(昭和47年)67歳 日本彫塑会常務理事に就任。
第2回日彫展に「みどりの庭」出品。
「みどりの庭」
第3回個展を大阪・大丸にて開催、木彫、ブロンズ等30点出品。
日展審査員。
第4回日展に「発掘」出品。
中国新聞社に「新聞」制作。
 「新聞(部分)」
連合赤軍の浅間山荘事件
1973年(昭和48年)68歳 第3回日彫展に「鳥と女」出品。
ヨーロッパ(イタリア、フランス、スペイン、ギリシャ、英国)を1ヶ月にわたって巡視。
日展審査員。
川崎市文化賞受賞。
第5回日展に「ムーランルージュの夜」出品。
ニクソン米大統領のウォーターゲート事件
1974年(昭和49年)69歳 第4回日彫展に「新緑のよろこび」出品。
「ピエロと烏」「緑の調べ」=箱根・彫刻の森美術館蔵=
 「ピエロと烏」
 「緑の調べ(エスキース)」
第6回日展に「こかげ」出品。
 「妊婦の神」制作。
「翁」制作。
「果実器」制作。
 「練武」制作。
小野田元少尉ルバング島より帰国
1975年(昭和50年)70歳 第5回日彫展に「栄光」出品。
堅山南風先生と共にタヒチへスケッチ旅行に出掛ける。
日本芸術院会員展に「鳥と女」出品。
広島市立図書館前に「英国詩人、エドマンド・ブランデン記念碑」制作。
大分県庁前に「育児院と牛乳の記念碑」制作。
「壇林皇后像」制作。
広島中央公園に 「花の精」制作。
日展審査員。
第7回日展に「三日月と母子像」出品。
「ふぐ」制作。
「ふぐ(掛け用)」制作。
「放鳥」制作。
沖縄海洋博開催
1976年(昭和51年)71歳 勲三等瑞宝章受賞。
多摩美術大学客員教授となる。
第6回日彫展に「モーレアの追想」出品。
  「モーレアの追想」
第4回個展を東京・日本橋三越にて開催、約30点出品。
日展理事デッサン展(日展銀座)に「タヒチの追想」出品。
常陸宮家玄関に「巣立つ頃」(ブロンズ)制作。
日展審査員。
第8回日展に「タヒチの追想」出品。=多摩美術大学蔵=
「ランギロアの少女(タヒチのツバ)」制作。
「猿」制作。
「シルクロ-ドの旅」制作。
「ささやき」制作。
「わらび」制作。
「潮風」制作。
ロッキード事件
1977年(昭和52年)72歳 第7回日彫展に「巣立つ」出品。=日本赤十字社蔵=
回想の作品展(日展銀座)に「馬と遊ぶ神鳥」出品。
富山県高岡市古城公園に「若葉」制作。
広島平和公園に「平和祈念像」制作。
日展審査員。
第9回日展に「月の光」出品。=国立近代美術館蔵=
 「月の光(エスキース)」
 「うさぎ」制作。
「キリスト」制作。
 「夕涼み」制作。
王選手世界新の756号ホームラン

円熟期

75歳以降の作品。
瞑想的な心象世界の表現をした作品が多数輩出された時期です。

年代 できごと 世界情勢
1978年(昭和53年)73歳 日本彫塑会理事長に就任。
第8回日彫展に「姫と大蛇」出品。
多摩美術大学名誉教授となる。
日展審査員。
第10回日展に「夢・夢・夢」出品。
新潟県弥彦文化会館に「若葉」制作。
東京・池上本門寺に
「仁王像一対」制作。
「仏法僧」制作。
 「三人の精」制作。
成田空港開港、日中平和友好条約調印
1979年(昭和54年)74歳 第9回日彫展に「月と鳥」出品。
吉田五十八賞(建築並びに関連美術)選考委員となる。以後平成6年まで毎年。
日本芸術院会員展(北九州・神戸・大阪の各そごう)に「月の光」出品。
日展理事新作展(日展銀座)に「夢」出品。
長野県佐久美術館に「緑のリズム」制作。
広島駅新幹線北出口に「朝」制作。
松山市三越に「若葉」制作。
東京・新宿住友ビルに「三日月と母子像」制作。
最高裁判所に「正義の女神」制作。
伊勢神宮神楽殿「神使い」制作。
第11回日展に「ページェント」出品。
「夢に乗る」制作。
「北斎」制作
東京サミット開催
1980年(昭和55年)75歳 日本彫塑会を日本彫刻会と改名、理事長に就任。
第10回日彫展に「朝」出品。
神奈川県文化賞受賞。
皇太子殿下と懇談のため東宮御所に参内。
第5回個展を岡山・高島屋にて開催、木彫等50点出品。
第6回個展を大阪・高島屋にて開催、木彫等50点出品。
第7回個展を名古屋・松坂屋にて開催、木彫50点出品。
磐田市文化会館に「土器を持つ女」制作。
福山市若草園に壁面彫刻「鳥と動物」制作。
「鳥と動物(レリーフ)」
日展審査員。
第12回日展に「芸」出品。
「面と女」制作。
 「二つの面」制作。
「山羊」制作。
 「若い僧」制作。
 「笛」制作。
モスクワ五輪に日本不参加
1981年(昭和56年)76歳 第11回日彫展に「花を捧げる」出品。
昭和会展審査員並びに授賞選考委員となり、平成5年までつとめる。
箱根・彫刻の森美術館・高村光太郎大賞選考委員となる。
郷里広島県の御調町名誉町民第1号に推挙される。
国営森林公園に「躍進」制作。
広島県御調町ふれあいの里に「花園の歌」制作。
「花園の歌」制作。
神奈川県二宮駅前に「ガラスのうさぎ」制作。
天皇陛下80歳ご誕生御祝いの彫刻「若駒」制作。
日展顧問となる。
第13回日展に「北きつね物語より」出品。
 「若駒」制作。
 「ギターを奏でる女性」制作。
 「和(きつね)」制作。
ローマ法王初来日
1982年(昭和57年)77歳 第12回日彫展に「白い花」出品。
文化功労者に列せられる。
第14回日展に「讚歌」出品。
 
1983年(昭和58年)78歳 第13回日彫展に「サーカスの児」出品。
中国旅行に出かける(二週間)。
実業之日本社より「圓鍔勝三彫刻集」を出版。
八王子市役所に「朝」設置。
鹿児島市民ホールに「朝の調」(制作。
 「朝の調(ハープ)」
 「朝の調(リング)」
  「朝の調(鳥)」
  「朝の調(布)」
神慈秀明会の教祖殿に「岡田茂吉明主像」制作。
囲碁名誉9段「瀬越憲作像」制作。
第15回日展に「星より」出品。
 「春の唄」制作。
 「母子」制作。
大韓航空機撃墜事件
1984年(昭和59年)79歳 高村光太郎賞選考委員。
第14回日彫展に「鹿野苑」出品。
仙台瑞宝殿に「伊達忠宗公像(第2代伊達公像)」制作。
「伊達忠宗公像(第2代伊達公像)」制作。
川崎大師平間寺に「祈りと平和」制作。
広島県庁東館に「太陽讚歌」制作。
総理大臣官邸に「花の精」制作。
第16回日展に 「青い鳥」出品。
「花の精」制作。
グリコ、森永脅迫事件
三浦のロス疑惑
1985年(昭和60年)80歳 第15回日彫展に「魚と少年」出品。
「彫刻60年─圓鍔勝三展」を三越本店並びに広島県立美術館で開催。
福井県武生市に 「紫式部像」制作。
 「紫式部像(エスキース)」
広島県安浦県立子供公園に「夢・夢・夢」、「躍進」制作。
第17回日展に「月夜の僧」出品。
 「婦人像K」制作。
 「音楽家」制作。
日航ジャンボ機墜落事件
1986年(昭和61年)81歳 第16回日彫展に「トルファンの踊り子」出品。
伊勢神宮(神宝)「馬」6体、人物1体の制作着手。
第18回日展に 「日月花」出品。
山本浩二氏に広島県民栄誉賞として贈られる記念品「おおぞら」制作。
 「紫式部像」制作。
 
1987年(昭和62年)82歳 第17回日彫展に「二つの帽子」出品。
「二つの帽子」制作。
覚王山日泰寺(名古屋市)「阿難尊者、摩訶迦葉」制作着手。
日本電子工学院に「朝の調」設置。
川崎市とリエカ市(ユーゴスラビア)姉妹都市提携10周年記念として川崎市からリエカ市へ「友情」が贈られた。
衣笠祥雄氏に広島県民栄誉賞として贈られる記念品「おおぞら」制作。
第19回日展に「舞台の麗人」出品。
 「舞台の麗人」制作。
ソ連チェルノブイリ原発の大事故
1988年(昭和63年)83歳 第18回日彫展に「輪と遊ぶ」出品。
伊勢神宮に奉納する「鶴斑毛御彫馬」制作着手。
川崎市民ミュージアムに「巣立つ」設置。
日展審査員。
第20回日展に「和」出品。
文化勲章を受賞する。
天皇の御不例の報に記帳、お見舞いに参内する。
「圓鍔記念館」の構想がまとまる。
師・澤田政廣逝去
リクルート事件発覚
1989年(平成元年)84歳 広島県名誉市民となる。
昭和天皇大喪の礼に参列する。
自伝「わが人生」(時の美術社刊)を出版。
第19回日彫展に 「リズムの広場(フルート)」出品。
名古屋市・覚王山日泰寺の「摩訶迦葉像」「阿難尊者像」が完成。
東広島駅前に「和」設置。
名古屋ユニモール地下街に「舞台の麗人」設置。
尾道市千光寺公園に「あけぼの」設置。
第21回日展に「リズムの広場」出品。
「少女とふくろう」制作。
昭和天皇崩御、平成と改元
1990年(平成2年)85歳 第20回日彫展に「勾玉と弟橘媛」出品。
福井市制100周年記念として「リズムの広場」が除幕される。
文化勲章受章記念・圓鍔勝三彫刻展が川崎市市民ミュージアムで開催される。
福山市鞆町鞆城山公園に「宮城道雄」設置。
裁判所制度100周年記念として「正義の女神」が切手として発行される。
生誕100年を迎える作詞家「佐藤惣之助」のレリーフが完成。
長野県須坂市臥龍公園に「よろこびの歌」設置。
品川新高輪プリンスホテルに「和」設置。
第22回日展に「伝説の鳥」出品。
「伝説の鳥」制作。
「馬」制作。
「不死鳥」制作。
 
1991年(平成3年)86歳 第21回日彫展に 「千年桜」出品。
川崎市名誉市民となる。
富山県福野町ヘリオスに「朝」設置。
静岡市内に「はばたき」設置。
福山市蔵王公園に「トルファンの追想」設置。
群馬県草津音楽堂に「緑のしらべ」設置。
静岡市内に「ワシ」設置。
下蒲苅美術館に「自然の恵み」設置。
福山通運に「渋谷昇像」設置。
岡谷市に「信州男児」設置。
川崎市中原区役所に「絆」設置。
第23回日展に「夢の丘」出品。
 
1992年(平成4年)87歳 第22回日彫展に「早春のしらべ」出品。
福山市内に「和」設置。
福山そごうに「豊穣の濯」設置。
福山そごうに「希望の奏」設置。
川崎市平和館に「和」設置。
第24回日展に 「みあがり踊り」出品。
「エンジェル(風見鶏)」制作。
「渋谷昇像」制作。
 
1993年(平成5年)88歳 第23回日彫展に「春を待つ」を出品。
広島県御調郡御調町高尾ふれあいの里に「圓鍔記念公園・圓鍔記念館」がオープン。
伊勢神宮式年遷宮に際し神宝「神馬」を献納。
長野県更埴市屋代駅前に「和」設置。
八王子富士森公園に「平和」設置。
大妻女子大に「大妻コタカ像」設置。
千葉そごうに「大空と子供」設置。
福山大学に「宮地茂像」設置。
小倉そごうに「花の女神」設置。
高浜町郷土資料館に「逸見駿河守昌経公像」設置。
第25回日展に「タクト」出品。
 
1994年(平成6年)89歳 第24回日彫展に「コレクションと・・・」を出品。
福山市ふくやま美術館の正面入口に「姉妹」設置。
長野市に「タクト」設置。
福島県須賀川市内に「朝」設置。
広島そごうに「大空」設置。
北海道松前町に「金子鴎亭像」設置。
日展審査員。
第26回日展に「ハープを奏でる」出品。
「ハープを奏でる」制作。
 
1995年(平成7年)90歳 第25回日彫展に 「アトリエにて『自刻像』」出品。
第27回日展に「雉」出品。
「雉」制作。
 
1996年(平成8年)91歳 広島県呉駅前に「未来」設置。  
1997年(平成9年)92歳 自伝「続・わが人生」(時の美術社刊)を出版。
東京都府中市に「タクト」設置。
 

 

 


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